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Doctor Mからのメッセージ#099 (2016.12)
        

入院中の老衰的な経過の状況  

 

(症例1) Sさん、男性、101歳で死亡(身内のかたです)

ほとんど内科的な病気には罹ったことはなかったのだと思います。ところが、平成6年に自宅で人事不省となり、基幹病院に搬送されました。95歳のことです。私が医師であることから、先ずは私と妻が病院から説明を受ける家族として出向きました。小脳出血の診断でした。「高齢だから、もうバタバタしないでおきましょう」と言われました。
 多分、駄目だろうと思っていたところ、適切な治療をしていただいたようで、右片麻痺が残ったが、意識もきっちりと戻って、自宅に戻ることが出来ました、自宅は、運動器症候群の住居用に改築されました。ところが、平成7年の97歳の時に、傾眠傾向になり当院に入院することになりました。
 この方は、三人の娘と家政婦との四人のローテーションで、入院中の毎日のきめの細かい世話を受けていました。入院中の生活は穏やかなものでした。車椅子での移動は適当にしていました。秋の藤崎宮の大祭時には飾り馬を率いた会社の祭り装束を着た従業員が慰問に来てくれました。しかし、高齢であるので、徐々に数年にわたって老衰が進んでいったようでした。下記のようなその様子から、老衰の自然経過の実態を勉強させてもらいました。一つ判ったことは、高齢になって一日が24時間ではなくなり48時間になったり、伸びてくると理解できるようです。そうすると、慌てなくても良いと思うようになりました。このことは、それ以後の高齢者の対応に役立っています。
 入院してから半年後には1食を欠食することが出てきて、そういうことが徐々に頻繁になってきた。その原因は主に入眠が続くからのように思われた。
 最後の1年間は、1食から2食の欠食が普通になり、1~2日の全欠食が次第に周期的に定着するようになった。全欠食の場合は500mlの基本輸液のみしておいた。しかし、覚醒して食する時は10割の摂取だった。
 死亡する2週間前の1週間は欠食4日・2食1日・完食2日で、最後の1週間は欠食6日・2食1日(死亡4日前)だったが、その2食は8割摂取だった。死亡5日前までは看護婦への「会釈」あり、4日前までは「笑顔」あり、2日前までは開眼の時あり。以後、喀痰貯留音が強くなるも、動脈血の酸素飽和度は92~95%で、悪くなかった。最後の1日は心電図モニターを付けた。最後の3週間は基本輸液のみ1000ml程度を入れて(入れ過ぎかもしれない)、最後の2週間は抗生物質を投入していた。死亡診断書の病名欄には「老衰」と書いておいたが、そのまま受理された。



(症例2) Mさん、女性、89歳で退院(近所の方です)

 平成22年。認知症と腰痛(腰椎圧迫骨折)で入院中の88歳女性が、次第に傾眠となり、入院4週目からは2食ほどの欠食がはっきりしてきました。それまでは週2回のデイケアに通所していました。入院しているうちに、食事摂取量が数口というのが4週間も続きました。この間に「ゼロ」というのが2~4日続くことが数回ありました。補液目的の点滴1000mlだけはしていました。食べない理由は、やはり傾眠傾向のためでした。このまま大往生されるだろうと思いながら、家族と見守っていました。
 ところが、その後次第に意識状態が回復しだし、入院後7~8週間目から全量摂取しだして、そのうちに退院してしまいました。全入院期間は半年でした。途中で、胃瘻による栄養を始めていたら、こういう普通に退院する契機を迎えることは難しかったと思います。
 この方は、退院後、デイケアを週3回で再開していました。それから半年後の平成23年11月に体調不良となり当院に入院となりましたが、翌日に亡くなりました。89歳でした。この時は病状の把握はまだ困難で、家族も積極的な対応を希望されませんでした。


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