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Doctor Mからのメッセージ#098 (2016.07)
        

高齢者などの終末期に向かっての家族の心の準備  

 最近は、自立度の乏しい心身状態の高齢者の場合は、「高齢だから人工呼吸(あるいは透析)までは希望しません」という家族の意見を引き出すような話し合いを病院が行っている場合を散見するようになりました。最近まではこういうことが曖昧で、超高齢者が急変して病院に搬送されて、とにかく当面の高度の緊急避難処置をしてしまう場合が多かったと思われます。その結果、家族も「ここまでは希望しなかった」という濃厚治療が止められないということが多かったと思います。

 先ず、家族の側について、在宅で状態が不良になる前に予測が可能である範囲内で、「必ず救急車を呼ぶのかどうか」「看取りを第一希望にするのか」など、予め多少は念頭に入れておくことを勧めます(決めておかなくてもよい)。「かかりつけ医」と意見交換しておくのが良いと思います。そうなりますと、状態が悪くなった場合は、先ず「かかりつけ医」に電話するのが良いとなります。そこで、「予定通りの看取り」対応にするか、「いや、この場合は病院で診察や救命をしてもらった方が良い」との判断を協議することもあるでしょう。勿論、ケースバイケースです。

 病院に搬送された時には、病院の診察の結果を聞いて、はっきりと家族の希望を述べるのが良いと思います。治療する側は「出来る」「出来ない」にかかわらず、治療がし易くなると思います。家族が何を考えているのか判らないのが最も困るところです。その結果、後で、ご本人に適切とは言えない治療をしたり、片方または双方の不満が残ったり、医療費が高騰したりすることになりかねません。家族が判断できにくい時は当然少なくないと思います。この時は、「お任せしたい」との一言が、「看取り的」にせよ、「積極的」にせよ、治療者に心置きなく最善の治療に集中することの後押しをします。

 病院側は、年齢や心身の状態を鑑みて、積極的な治療が適切かどうかを見極めて、家族側に指針を示すべきだと思います。そうしないと、素人である家族に方針決定の最終判断をアドバイスが少ない状態で強いることになります。そうしますと、「そこそこ(相応)の治療を了承する」というのに罪悪感のようなものを感じ、「出来るだけ助けて下さい」と言うことになったりして、見通しのない濃厚治療が蔓延してしまうのでしょう。医師がその精神的な重圧を肩代わりしてあげることが、時に良いと思います。私はそうしています。

 現在の我が国の医療はかなり、「自己防衛的」な面があると思います。検査や治療に不都合があるのではないかとのクレイムを回避するために、過剰な検査や治療をしてしまいがちです。実は、ご本人も家族も、「本当は医者に言いたいことがいろいろあるが、なかなか言えない」という場合が多いのでしょう。しかも、もし医師が立派な内容の診療を行っているかを検証されでもしたら、いろいろ出てくることも少なくないのではないかと思います。ただ、初めから医師の診療を「斜交いに」見ようとしている「悪意のない不信者」が問題だと思います。自分に豊かな知識や判断力がないのに、根拠なき過信をしていることが多いと思います。小生の経験では、医師以外の医療関係者が家族の方にこういう事例が多いのですが、医師の家族の場合は、逆に、こういう雰囲気を消している場合がほとんどです。小生もそのようにしています。任せた以上は仕方がないので、ストレスを与えずに治療をしてもらいます。

 医療というのは、算数や理科を解いているようなものではありません。いわゆるカオス的な要素を避けることはできないのですし、マクロ的には確率の高いことを信じて対応をしているので、全例に良い対応になるとは限りません。そういう中でも、個々の患者に対する個別性に留意してミクロ的な対応をしていかなければなりません。

 当院に入院された高齢者の状況によっては、「もっと悪くなった時は、基幹病院に送ってほしいか」を家族に聞いております。「ここで宜しい」ということであれば、当院での最善を行う決意で対応します。しかし、この質問は、必要に応じて、こちらから数回することが多いのです。再確認だけのこともありますが、状況によりこちらの考えも変わることがあります。


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