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Doctor Mからのメッセージ#027                     (2003.10)
         何故、怪しい宣伝や意見に騙されるのかについての私の考察

 二つの重要なポイントがあると思います。一つ目は論理の飛躍を用いて、実は何ら証明していないことをあたかも証明したかに説明することです。「脳内革命」とか「免疫革命」とか、気を引くような本はこういう手法を使っています。他の一流の研究者の発表した最新の研究成果を引用した挙句に、「だから、私の勧めるこういうことをすれ良い結果が得られる」という書き方ばかりですが、「だから」が「だから」に全然なっていないのです。これは国語の問題なので、専門知識がない読者でも判るはずと思うのですが。先ず信用するということでなく、先ずは疑って読む癖が必要だと思います。

 二つ目は量の観点(定量性)の欠如です。「トラックの荷台に十円硬貨を載せたら重くなる」は果たして意味があるでしょうか。ビルディングの屋上に届こうとして高下駄を履いても実際の効果はないでしょう。使用量と効果量の関係を無視した議論は空論です。赤ワインや黒酢やアガリクスは正味何グラムをどの期間服用すれば実際の人間にどの程度の判定可能な良いことが実現するのか、良いと勧めている人にも実は判らないと思います。「でも、飲まないより、多少でも飲むのは良いのではないか?」については、そうかも知れないし、実際は無意味かも知れないし、却って悪いかも知れない、のどれであるも直ちには言えないはずです。糖尿病や肥満の人にカロリーの多い健康食品を与えた場合は、糖尿病の悪化だけが確実です。

 昔、「味の素」のグルタミン酸は頭脳が良くなるという物凄く有名な噂がありました。学者がある種の脳機能を良くするとの発表をしたからでしょう。現在でも「味の素」は調味料に重要のようです。しかし、今は頭が良くなるから使っている訳ではありませんね。あの話はどうなったのだろうと思います。人間個体への影響は判らず仕舞です。証拠なしです。ここで万が一効果があるとしても、どの程度の効果かというのが一番大事と思います。その後、「味の素」はとんでもなく有害だとのキャンペーンもあったのはご存知ですか。これも、いい加減な話のようです。

 最近、「ストレスが多いと癌になる」と権威筋も言っていますが、研究室レベルでの限定したデーターをストーリー化したものに過ぎないと思います。かなり真実を語っているかも知れないと思いますが、人間個体レベルでの量的な意味付けもなされておらず、決定論的な証拠がないということです。私自身は、ストレス・免疫・癌というキ−ワードには昔から関心を持っている者ですが、現時点ではそれ以上のものではないと思うのです。せいぜい、「論理的にはそういう物語になる」とするべきでしょう。研究者も人の子ですから、自分の研究室での成果を社会的意義があると主張したいのでしょうが、あたかも本当に意味があると決まっているかのようにリークするのが良くないと思います。何故、リークをするのかは、研究者側、マスコミ側の構造にその原因があるようにも思われます。

 
量的な問題についての参考話があります。放射線障害のしきい線量(DMM#14)のように、生物反応では刺激がある量以下では、その効果は僅かでもなく、ゼロであるという場合が少なくありません。イメージとして底に小さい穴の開いた「鹿脅し(ししおどし)」を考えましょう。日本式の庭に造ってある「水の流れ」を受ける竹製の筒です。ある程度以上の流量で水を注入しておくと、たとえ、底からの漏れがあっても定期的にカーンという音が聞こえるでしょう。ところが少量過ぎる流量で水を注入したとすると何年何ヶ月経ってもカーンという音の回数はゼロです。

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