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Doctor Mからのメッセージ#094 (2016.07)
        

検診とか人間ドックはどう位置づけたらよいか

◎検診とは特定の疾患の早期発見を目的とするもので(がん検診など)、健診とは健康診断のことで、法律による義務実施である職場健診や学校健診および最近の特定健診と、任意実施である人間ドックがあります。調べたら、以上のように書いてありました。

◎ここで述べている検診も健診もともに「一応健康」だと思っている人が受ける検査のことでありまして、「症状があるので何か異常はないかな?」というのは当てはまりません。そういう時は医療保険制度の中で検査をしていくものです。

◎費用から見てみますと、義務健診は職場(または学校)という個人以外の他者による負担があります。人間ドックは基本的に利用する本人が費用を支払うものです。小生は、労働災害の防止目的なら会社が費用負担をすることは妥当かも知れませんが、一般健康維持という本人と国家の責任の案件のことに私企業が負担させられることが納得できません。そもそも、医療保険金の支払いの半分を私企業が負担したり、税金の源泉徴収の手間と負担を、感謝の言葉もなく、私企業に負わせているのも「考え方としておかしな話」だと思っています。

◎検診も健診もすればする程隠れた不具合や異常が発見される場合が増えるので、そういう意味では良いことだと思います。「異常の疑い」がでて、精密検査をいろいろしたところ、結局「異常なし」であった場合の「面倒くさかった」とかの不都合さもないともいえませんが、そういうことも含めてご本人が自主的に自費で行う人間ドックは「したい時にすれば良い」と思います。

◎しかし、検査の種類によっては、常識的な推奨頻度があります。例えば、胸部検診(レントゲン)を1年に3回も4回もするのは馬鹿げていると思われます。脳ドックであっても、一回充分な検診を受けて異常がなければ(少なくとも、先天性の脳血管異常がないのであれば)、何度もする必要はないのではないかと思います。しかし、何度しても自費だから他人に迷惑を掛けるものではありません。ただ、CT検査は僅かであっても、それなりの被爆線量があるので、これをどう考えるかです。MRI検査は人体への影響はないようですが、これが導入された時のことを覚えています。「あれを受けた後で頭の調子がおかしなった人がいるらしい」という風評が周囲の医師の間に面白半分で流れました。まあ、それ程「革命的な仕組み」の検査であったのです。その後、小生は一回この検査を医療として受けたことがあり、異常がありませんでした。そういう小生ですから、検診としてのMRI検査を今後受ける予定はありません。異常を疑う症状が出現すれば、医療として受けようと思います。

◎ところで、公的補助のある検診や健診は事情が違うと思います。当クリニックは熊本県の肺癌精密検査の認定機関として20年程活動しています。現在の熊本市における認定機関は9機関で、当院以外はほとんどが基幹病院であり、多少の誇りを感じています。こういう小生が以下のようなことを認識しているのは微妙なところであります。すなわち、こういう公的な肺癌検診は米国では行われません。米国では、相対的な発見の数の少なさと、相対的な費用の多さを総合的に判断すると(つまり、費用対効果)、行わないという判断をしているのです。米国のことが全て正しいとは思っていませんが、我が国は「費用対効果」について全般的に無頓着過ぎると思います。国民からマスコミさらに政府に至るまでのこういう国民性は「美徳」なのか、「贅沢」なのかについての議論をする必要があると思います。ところが、ミクロ的な状況では、当院においてもこの検診で早期の肺癌を拾い出して基幹病院へ治療目的の紹介を毎年のようにしています。つまり、この制度の中では、個々の症例において、自分もするべき役割を果たさせていただいているという思いがあります。ただ、これに関連する我が国の人的や非人的費用を考えると、制度として疑問を感じているということです。


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