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Doctor Mからのメッセージ#029                     (2003.11)
            内視鏡手術における医療過誤の記事についてのコメント

 最近、前立腺がんの患者に経験の乏しい某大学の泌尿器科医三人が内視鏡の手術を行い、出血のコントロールが出来ずに死亡させたとして、逮捕されたというニュースがありました。こういう話で医師の逮捕というのは余り例がないようです。報道の印象では、経験の充分ではない者だけが行ったということが突出した問題点ですが、私が思うには、最大の不都合は、出血で混乱したのに早目に通常の切開法に切り替えて止血操作をしようとしなかったことだと思います。インフォームドコンセントを適切に行ったかどうかも問題かも知れません。この内視鏡手術はもともと技術的には問題を孕んでおり、視野も操作野も不十分である可能性があり、熟練者がおこなっても途中で困難を認めて通常の切開手術法に切り替えることがプランにあり得るのです。

 種々の領域で以前から内視鏡手術の試みは僅かながらあったのですが、最近の劇的な発展は電子内視鏡の進歩によるものです。最初は婦人科手術からのようで、それが腹部(胆嚢や胃腸など)や泌尿器科に広まった。呼吸器は腹部に遅れること約1年です。この中でも、腹部外科の活動が盛んです。日本における肺の内視鏡手術が始まった時から思うことがあり、参考のために書きます。

 私はもともと大学などで、呼吸器内科や循環器科にも携わりましたが、基本的には呼吸器外科の専門医でした。私が開業のために熊本に来たのが平成2年3月で、それまでは我が国では胸腔鏡による手術は一般には行われていませんでした。ところが、米国で肺外科において内視鏡手術が活発に試みられ始め、少し遅れた平成2年の途中から日本でも手を出し始め、爆発的な勢いで普及し出したのです。平成2〜4年の短期間に全国150施設で1218例の胸腔鏡手術が行われています。私が平成2年まで1年間在籍した病院の後輩が、その後電話で「肺の内視鏡手術を練習を始めだして大変です」と言っていました。最初は動物を使って、器具はまだないので泌尿器科から膀胱鏡を借りて練習しているとのことでした。その後、メーカーが器具を開発したようです。つまり、十数年前の初めの頃は日本にも誰も熟練者はいないので、多くの者は自分で練習して、自分の判断で臨床に試みたのです。現在では、上記の医療事件以後、こういう手術の術者は熟練者の下で何例かの経験をした者に限ることになりそうですが、何事でも最初の頃はそうではないのです。ところが、最初に手を出す「未経験者」は、通常はその領域での標準的な手術では既に相当な力量があると自信を持った人達なのです。物事は、単純な数だけで決められるようなことではないのですが、発展の途中からはこういうガイドラインが出来るのも、自然の成り行きのようです。

 
内視鏡手術の本質は筋肉切開の範囲が少ないことに尽きます。これに適した症例には好いし、適さない症例には宜しくない。適した症例で予定通りにいけば、手術の侵襲が少ないので回復が早いことと、術後疼痛が少ないことが期待できます。簡単な手術であれば、しばしば所要時間も標準手術よりも短い利点があります。外見上も皮膚の術創が僅かで好ましい。しかし、それ以外は潜在的に悪いのです。大きい手術になるに従って、しばしば手術時間が長いこと(術後回復には悪い)、術野が悪いので、血管などをうっかり傷付けるかも知れない、ガンの手術では切除範囲が不十分の可能性がつきまとう、という本質的な問題を孕んでいる。術後の筋肉縫合が極めて不十分である(きっちりと縫えない)。なお、皮膚の切開の長さは物凄く短いが、皮膚の下の筋肉は患者が想像するよりは沢山切っている(それでも通常の手術よりは少ない)。

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