(008)「ライブドア問題」と「公共の放送機関」と「健康関連放送の不適切さ」など(2005.3)


   ライブドアがニッポン放送に対する敵対的買収を試みていることが連日マスコミのネタになっており、これを私たち、「皆の衆」の多くも相当の関心を払い、あれこれ感想や意見を持っている。この場は医療以外の特に社会問題をあまりコメントするのは不適切ですが、常々マスコミからの医療健康関連の情報は座視出来ない問題点があり、ついだらだらと書いてしまうことにしました。

私は、統計上多くの団塊の世代がそうであるらしいように、ライブドアの堀江氏にエールを送っているものです。別に彼のキャラクターが好きでもないし(付き合いたくなさそう、しかし、優秀で興味深い方です。もしかしたら、付き合っても深みのある方かも知れない)、彼の主義とされている「金第一主義」というのには私も嫌なのです。しかし、今の金第一主義の日本を作ったのは今の年寄り連中であった(団塊世代も大いにそれに関与した)。「そういう世界ならその法律内でやることはやりますよ」というのが若い堀江氏のスタンスだと思います。堀江氏を怪しからんという「おじさん」は天に唾を吐いていると思います。しかも、現時点の日本はますます資本主義の深化を強めています。というのは、一連の報道の中で「会社は誰のものか」という設問がなされ(社員か経営者か株主か消費者か)、それに対して基本的に株主であるという声が大きくなっています。つまり、商法などの法体系上は金第一主義構造になっています。「おじさん」世代は「ああ、そうだった、自分たちは良い日本を作ろうと懸命に働いてきたのだが、とことん行き着くとこういう世界にしていたのだ。本気でやり直さないといけない。アメリカの猿真似はとんでもないぞ。日本古来の良い点と欧米の良い点の再融合を原点に戻って考え直そうではないか」と先ず、前向きに日本を変革するようにした方が良いのではありませんか。

プロ野球の参入問題でも、堀江氏が最初手を挙げた。彼のプロポーズを受けた宮城県知事は実に嬉しそうにコメントしていた。ところが、後出しの楽天の三木谷氏の方が得策だと思うと、仁義なしでそちらになびいてしまった。楽天に決まった後も仙台市民はおおいにライブドアの方を支持していたというアンケートがある。「皆の衆」の方が県知事という「偉いさん」よりずっと仁義があるということであろうかと感じました。そもそも三木谷氏は堀江氏の後でプロ界に参入表明した当初は、神戸や大阪に根拠地をと言い出してその気にさせて、次には長野県に物凄い期待を抱かせるような表明をした。あの田中長野県知事もそれを聞いて喜んで、前向きのコメントを出したので、そうなるのかなと思っていた。その後、堀江氏が相当仙台にコミットした時点で、「後だしジャンケン」でかっさらってしまった。この件に関する私の感想は、三木谷氏は既に多くの財界人などと付き合いがあり、予めそういう当たりに根回しをしていたらしい。それは老獪で賢明なことでしょうが、どうも三木谷氏も感性的には随分と「おっさん〜おじさん〜爺さん」(私は年齢的にはそれに当たりますが、精神的には老獪で賢明ではない方の者です)であって、いやらしい感じを抱くのを避けられなかった。要するに、切れ者ではあるが、若気の至りの堀江氏は「おじさん達」に負けたということだと感じたのです。まあ、「投資を大してせずに知名度を上げた堀江氏が勝利者である」という意見もありましたけど。

現代社会を牛耳っている悪い部分は、「金第一主義」もそうですが、「建前主義」の横行だと思います。今日、このコメントを書くきっかけは、日曜日朝のテレビを見ていて、評論家の大屋映子氏が堀江問題について「フジテレビ側が放送機関の公共性の確保とか言うけど、言う程のことをしてきたのか怪しい」と多くの「皆の衆」が感じているだろうことを言ってくれたことです。「皆の衆」の私も、一寸力を得たので言っておこうということです。報道(放送)機関の公共性はその状況から嫌が応でも事実として厳然としてあるのであり、実は、放送機関は自分たちが放送で真っ当な考えを「皆の衆」に伝えているということを主張したがっているらしいですが、そういう考え違いが戦後日本の不幸の原点だと思います。百人居れば百人異なる意見があるのです。それなら事実だけでも公平に提供するのですと言うのでしょうが、それが罪深い建前主義です。ニュースや報道番組だって、放送する事実の選り分けをして、自分たちの主義に誘導している様はバレバレであります。しかも、放送機関も視聴率を確保してCM料を確保するためにほとんど金重視の運営をせざるを得ない状況ではありませんか。そういう状況に対して全く現状容認的で問題意識を持っていないかのようなのがよろしくないと思います。放送機関が「自分たちはこういう意見だからそう主張して放送する」という態度を正直に明らかにするのであればそれで可であると思います。偏向があっても良いではありませんか。実にそうなのですから。米国はこの辺はそのようになっているようです。初めからそういうことであるというルールなら、視聴者ものっけから「放送内容を自分で吟味する」という正しい態度で接することが出来るのです。初めからそういうことなら「皆の衆」でもそれなりに吟味することは出来ると思います。自己責任です。公正・公平などという幻想を振りまくのが最も今の我が国の放送機関の罪であると思います。

さてですが、「みのもんた(おもいっきりテレビ)」(これはフジテレビではない)のような番組を流すことが立派な放送機関のすることか、という流れになるのです。「立派であるとは限りませんよ」というスタンスの放送機関がああいう内容の放送をするのは誠に結構であると言わざるを得ないのです。「みのもんた」という人物自身もエンターテイナーとしては優秀な人物であることは年間収入の多さが証明していることであります(アッ、これは金第一主義の言い方なのでよろしくない)。実はそうなのですから、堀江氏の参入の時などだけ「立派な社会貢献をする放送機関」など都合の良い「建前」を言って欲しくないです。残念ながら多くの「皆の衆」はテレビが言っていることだから多少は信じるところがあるのだろうと「刷り込み」がされているように感じます。ああいう番組を暇な主婦や老人など(主婦などが暇といっているのではありません)に流し続けておいて、「皆の衆」の知性を麻痺させるようなのが問題です。「皆の衆」の心身の健康を損なっているのは看過できない(ので書きました)。特に、心の方です。ああいう健康に関したバラエティ番組や健康食品・健康サプリメントに関しての情報の氾濫は、「皆の衆」の財布を軽くする悪影響があるのも問題ですが、金第一主義の色の濃いビジネス(放送もサプリメント販売も)の観点からは賢明な戦略である情報提供により、情報を受ける側の「皆の衆」の心は動揺し、無駄な金と時間を浪費しながら一番浪費をしているのは精神の質であると思います。視聴者の責任と言えばその通りですが。もっと考えると、今の民放のバラエティー番組はローマ帝国の成熟期から末期に市民の欲望に応じるべき続けたコロシアムでの剣闘士のような見世物とオーバーラップします。私もよく楽しませて頂いていますので、多少のお礼の気持ちもありますが。(妻からはテレビっ子と言われております)

真面目な試みの健康科学の報道であってさえ、「皆の衆」の判断をミスリードするようなことは枚挙に暇がありあません。例えば、「癌に対する新しい治療法の期待につながる研究発表」です。多くの「真面目な」新聞紙上に私の知っているこの30数年の間に数え切れない程のこういう記事が掲載されましたが、そのうちにものになったのはほとんどないのです。これは報道の無責任と思います。十年に一度くらいはこういう自分たちの報道した記事のその後の結末のリストを掲載して内外に総括しておくべきだと思います。そういうアフターケアをされるのなら、それはそれで可となるのだと思います。

今は「ちゃんとした新聞」でも無責任な情報の垂れ流しが多くて、大衆週刊誌の方がむしろためになる。大衆週刊誌は表や裏がいろいろ書いてあるので、自分でこの部分はああだろうが、この部分は怪しいなどと考えながら楽しく読める。大手新聞の記事の多くは既に情報が選別された上での少ない量の情報量であり、お座なりで終わるかあるいは大衆をミスリードしやすいと思う。

今や、わが国のマスコミは最大の権力者です。政治家ないし官僚・大企業の経営者ないし大株主に比べても劣らない程、マスコミは強い権力者です。マスコミは「皆の衆」の代弁者として(これは物凄い欺瞞です)、他の権力者に鋭い批判を繰り返し、基本的に個人のプライバシーを侵害し(犯罪者のプライバシーはよく守る)、常々立場の弱い(反論の場を与えられない)者を攻撃し、自分たちの不都合があった場合はその釈明と言い訳の時間は放送中に充分に確保する場合と、知らん振りをする場合との両極端を上手く使い分けしています。また、しばしば日本の国益を大いに損ない、一体どこの国のマスコミかと訝るような事態が常態化しています。このマスコミを有効に批判できる構造が今の日本に存在しないのは非常に危険な状況ではないでしょうか。マスコミは強権を持ち過ぎたのではありませんか。それで、今は堀江氏を応援しているのです。やはり、物事はバランスが大切だと思います。しかし一方で、インターネットやメールについては、特に未成年に対しては、デメリットの方も多くて、将来に禍根を残すだろうと危惧しています。例えば、携帯電話については大量供給ビジネスによって、若年者の精神の特性にいびつな変化を招来しつつあると感じられる。未成年者を禁酒禁煙として守るのと同じような手立てをしないのは立法行政の怠慢だと思います。経済第一主義に流されているのだと思います。しつこいですが、堀江氏を金第一主義とけなすことは、今の社会で一応の成功をしたとされている部類の者には出来ないのではないかという気がするのです。そういう人々の実態は、既得権や安寧な生活を脅かされたくないということでしょう。つまり、これは善悪の問題としたいのでしょうが、実は権力闘争のようなもので、そういうのならそれは判りやすくて私は納得するものです。

そもそも、今の世の中の価値の等価基準が貨幣によっているのですから「金第一主義」であることは仕方がない面があります。表現のニュアンスを悪意に取り上げるかどうかによっても受け取り方が違うようなことはマスコミの経験豊富な領域です。堀江氏の主義とされているその主義とフジサンケイグループの経営者におけるその主義と差異があるのかないのか怪しいと思います。現経営陣も自己立場を確保するために株の操作をしてきたのです。堀江氏は参入してからのやりたい事業の具体性を語っていないとマスコミの多くのものは指摘しますが、彼は語っていると思います。聞いていない振りをしているのです。今のマスコミこそ現状の問題点を改革しないといけないことを全く語っていません。防衛、防衛といっているだけです。何を守るのか?安賃金の下請け会社に制作の多くを丸投げする社員の過度の高賃金を守るのですか?そういうのであれば、確かに誰でも守りたいです。多くのテレビタレントや野球解説者のような輩が「ニッポン放送の経営権をライブドアがとったら番組を降りる」と発言していることは小生には興味深い。まあ、そういう気持ちは人情としてはよく理解できます。ただ、発言している者もその発言している場も現体制のマスコミ側であるので、これは全く一部の者の大声であることを確認しておきたい。これは現放送側の立場であって、聴視者の立場だとは限っていません。

マスコミのことを批判したのは、今のマスコミの影響が大きいからです。マスコミで働いている人は、影響力が甚大であるという意味で、本当に重要な仕事をしておられるのですから、それを本気で自覚して欲しい。「皆の衆」の人生に物凄い影響を与えているのです。なお、私は最近では新聞の中では産経新聞が一番好きでした。今回の騒動で、フジサンケイグループの経営陣にはがっかりしていますが、多分今後も産経新聞を期待しています。やはり、実際に提示されている番組やコンテンツがどういうものであるかが重要なのですし、それでしか受け手は判断できません。堀江氏が入ってきたらどうのこうのは視聴者や購読者の立場ではありません。ニッポン放送側の現社員がどうのこうのと言うのは人情的にはよく理解できます。マスコミはそういう社内的ないし身内的なことを公共のテレビの中で繰り返し大声で扱って欲しくないように思います。公共の放送を私物化しないような程度にして頂きたい。ところで、最近までに繰り返し行われてきた銀行の合併吸収の際の銀行職員の苦悩をマスコミは本当に我が身のように思ってあげていたのかな。倒産した雪印乳業関連の従業員の難儀に思いを馳せたのでしょうか。個々の事情は違うようですが、基本的には同じようなものです。今の資本主義経済はそういうもののようです。マスコミ関係者だけは特別に扱うべしという議論が政治家からも随分聞かれますが、そういう特権が我が国をいびつにするのだと思います(政治家も今やマスコミが怖いから、建前しか言えない場合が多い)。

上記の内容は、今の時点の私の考えであり、一晩寝た後の変心がないことを保障するものではありません(・・・・・・)。

最後に、ここで述べた、ああいう「みのもんた」のようなという「ああいう」という訳の判らない書き方は曖昧で具体性がない。しかし今までも、何度か当院パンフレットのDMMでも「みのもんた」には多少は触れています。一度、このセクションかDMMに「みのもんた」テーマに絞って書きたいと思います。